父の話
私の父の話。
私はとにかく父が嫌いだ。
人として性格が合わない。人間として好きじゃない。本当に自分でもどうかと思うくらい好きじゃない。
何がこんなに嫌なのか。多分1番の原因は人をバカにしがちなところだと思う。
私が小学生低学年の頃、算数の宿題が出て、それをリビングでやっていた時。「なんでこれができないんだ」とか、そんなことを言われながら宿題をやった。その頃から本当に嫌いだ。父は方法を教えてくれずに何故できないのかをずっと責めてきた。子供心に「できないと怒られる」のを知って全てが嫌になった。
おそらく父は頭が悪い。私が小学2年生になると、その時の担任の先生の授業が面白かったこともあり、国語が好きになったし「得意だ」と思えるようになった。そこから他の勉強も頑張ってみようと思えた。その頃父は「すごいなー」とか「頑張ってるなー」とか「もうわかんねーや」とか言ってくるようになった。何がすごいのかも分からず、何を頑張ってるのかも知らず、「ただ褒めておいてやろう」みたいなその褒め方が嫌いだった。
勉強だとか読書に自分のアイデンティティというか、居場所を見つけた私を父は「運動ができない」ことでバカにしてきた。
私はとにかく運動が苦手で、体を動かすことが好きでもないし得意でもない。現時点でもう直ぐ20歳になろうというのに、満足に自転車に乗れないくらい運動神経が悪い。
そんな私なので運動会でやる徒競走はほとんどビリだった。その結果の度父は「またビリじゃん(笑)」とか言ってきた。本当にどういう神経しているのか分からない。
私は心の中で父のことを嫌って、軽く無視したりはするものの、目立った反抗期は基本的になかったはずだ。
高校生の時、テレビを見ながらご飯を食べていた時のこと、多分その時私は、受験の講習で気が立っていたのでつい、「子供の苦手意識、嫌いだっていう感情をなるべく作らない教育をしたい」みたいなことを言った。そしたら父に「俺の教育が間違ってたとでも言うのか」って怒られた。笑っちゃうよ。面と向かって反抗してみたらキレるんだもん。ちょっとはヘコめば良いのに。しかもその怒り方が子供っぽいったらありゃしない。本当に嫌いだ。
高校、大学での課題、自主制作をしている時も褒め方が変わらない。少し深夜に作業してるだけで「頑張ってるじゃん」とか言ってくる。それで応援できてると思うのがムカつく。私からしたらいい迷惑だし、なんなら話しかけて欲しくない。
ドラマとか映画を観ている時、話の内容が1度じゃ分からないみたいで、「今のどういうこと?」とか「意味わかんねぇし」とか言ってくる。絶対お前の頭が悪いせいだよって思う。現在過去の場面の転換にもついていけないっぽいし、もう映像作品とか観るの意味ないんじゃないの?
父、母、弟は私の家族だけれど、「他人」という枠組みの中での「家族」という名前のついたカテゴリの人間っていうだけで、大きく見ればみんな他人だ、と私は思ってる。その中でも特に父は嫌いだか、母と弟は心の底から好きだ。一緒にいて楽しい。いろんな話ができるから。
成人式。私が「行きたくない。振袖のレンタル料金払うくらいなら私の学費かせめて矯正代払ってもらえた方が嬉しい」って言ったら父に「親が子供に成人式行きたくないって言われたらどう思うか考えろ」とか言われた。しらねぇよ。イベントごとには行かないとダメとも言われた。親が子供にしてあげる最後のことだから〜とかね。そこに娘の願いだとか希望は必要ないみたいだね。そりゃさ、どうせデブスだけどさ、着飾るなら高くて良い振袖とか着てみたいよ私だって。でもお金ないじゃん。お金ないのにその予算で何とかレンタルの振袖選べってさぁ…そもそも「記念」なら振袖買ってくれても良くない?でもそこまでするとお金ないんでしょ?何なの矛盾じゃん。ただ成人式出れば良いだけなら、振袖なんか着なくたって良いじゃん。惨めなだけだよ。本当に嫌い。イヤダイヤダ。
それでも「もっと辛い人がいる」とか「お父さんはお前のことちゃんと考えてるよ」とか言ってくるやついるけど、そもそもこの感情は他人と比べるもんじゃないし、お前に私の父のことわかるかよって思う。
いろいろな話
最近の話
久しぶりに文章を書く。
今大学は春休み。授業もなければ課題もない。
本当だったらいろいろな経験をするにはもってこいの期間。
それなのに私はバイトばっかりして、何も作り出せないでいる。
カメラの話
フィルムの、何をするにもお金のかかる代物。
きっかけは、何か自分が落ち着ける、誰も入ってこられない趣味を持とう、と思ったこと。はじめは、ジャンクカメラの分解をしようと思っていた。だけどやっぱり、写真は撮れた方が良い。
私は、自分の人生が、もっとロマンティックであって欲しかった。
私の人生は私のものなのに、私は主役になりきれない。
私は自分の一生を使って、誰かの人生のモブでもしているのだろうか。
そのくらいパッとしない。
いや、案外人生はそんなもんなのかもしれない。
でもなぁ、いやだなぁ、どうせなら、見せかけだけでも、
私の人生、価値のあるものとして、残してみたいなぁ。なんて。
私の、何のドラマもない、つまらない一瞬、日常、人生を、フィルムに焼き付けて。
さも価値があるかのように、残してみよう。
母の話
最近私の母はいろいろな話をしてくれる。
父の事を苦手なのは私だけではないと知ってホッとする。
母が最近「女性」に戻って嬉しい。
職場の友人と休みを合わせて小旅行へ行ったり。
母が「母親」をする機会が減って、心の底から嬉しい。
私の家庭では、「母親」は奴隷のような扱いだ。
少なくとも私にはそう見える。
パートから帰ってきて、食器洗い、洗濯、夕食作り…名前のない家事もたくさん。
夕飯は…母は食べない。ほとんど夕食を一緒にとることがない。
そんな中でなぜ、弟も父も、平然と食事ができるのかわからなかった。
自分たちの目の前にある食事を作った人が、1人別の部屋で、洗濯物をたたんでいるのに…平気な顔で食べてる…
今でも母のいない食卓での食事は、私にとって作業になってしまう。
母がいる食卓で食べる食事はとても美味しい。何より楽しい。
…というか、父がいる食卓が私にとってとにかくツラい。
弟と2人の食事も好きだし、楽しいし。
やっぱり父が苦手なんだなぁ。
そんな父に内緒で、というか別に言う必要もないので、私と母は休みが合えば一緒に出かける。洋服を見て、ペットショップを見て、最後に食料品を買って帰る。
それだけでも十分リフレッシュになる。少しだけ、心が軽くなる。
母が「母親」をする時間が少しでも減るように…私が頑張らなきゃなぁ。
土日の話
私は土日が嫌い。
父が家にいるから。
父がいるだけなら別に気にならない…いや、気になるけど、というか「いるだけ」過ぎて気になる。
家にいてなぜそうも頑なに家事をやらないのか。
料理は百歩譲ってできないにしても。
洗濯物回すとか、お皿洗いくらいできるじゃない。
あ、そうだ、私やっと、洗濯物回して、干して、取り込んで、たたんで、仕舞うことができるようになったんです。
この時から少し、成長。
とにかく、休日は嫌い。
父がいるから。
これ以上、今日は文章がうまく書けない…
もっときっと、書きたいことがあったはずなんだけどな…
とりあえず、今日はここまで。
■
どちらかの家庭で何かがあった時に、
どちらも倒れてしまわないように、
違う家庭で育った人と家庭を築くんだよ。
私は誰と支えあえばいいんだろう。
誰に助けを求めればいいのかな。
しんどいなぁ。
家までつらい対象になっちゃったらどうやって過ごせばいいんだろう。
疲れたな。
息苦しい話
今日はずっと喉に違和感。
何か詰まっている感じがする。ヒステリー球というやつか。
呼吸がしにくい感じがする。感じがするだけで実際は、普通に呼吸できるのだけど。
家に帰れば、弟があるバンドのライブDVDを見ている。とても大きな音。
普段だったら気に留めない。問題ない。でも今日はうるさい。ぐらぐらする。
喉の違和感も、音の大きさも、1度気にしだすと気になって仕方がない。
感覚が過敏というよりもきっと、気になったことが、気になりすぎてしまうだけだと思う。
朝乗った電車。近くのおじさんの体臭。1回気になるとそこに意識が集中してしまう。具合が悪くなる。この間は電車で隣の席のおばさんがずっと、ガムを「クチャクチャ」音を立てて、ひと噛みひと噛み口を開閉して噛んでいた。鳥肌ものだった。
もしかしたら知らない間にストレスをためていたのかもしれない。
休もうにも課題をやらないわけにはいかない。とてつもなく面倒なイベントのことも考えなければ。これからどんどん忙しくなる。私はこれからちゃんと、楽しく過ごせるのだろうか。
今もまだ、喉に違和感。息苦しい。
好きなものの話
昨日ツイッターで「小5・中2・高2の時にハマったものは再熱しやすい」みたいな内容の投稿を見た。だからその当時それぞれハマってたものを思い出してみようと思う。
まずは小5の時。
小5…小5…確かその一年前。小学4年生で私は不登校になりかけた。担任の先生が怖くて、毎朝起きるのが辛くて、起きれば体調が悪い。それでも遅れ登校(?)で学校へ行った。学校から帰ってきて数時間は元気なのだけど、22時頃から翌日が不安でしょうがなくて、また具合が悪くなる。父は私が調子のいい時しか見ていなかったから、「なんで行かないんだいい加減わがままやめろ」みたいなこと言われた気がする。もしかしたら言われてないかもしれないけど。そのころの、私が唯一家で落ち着ける時間の最中、寝転がっていた私のお尻を叩いて起こしてきて、先に書いたようなことを言われてもう本当に嫌な気持ちになった。だけど正直このころの記憶はほとんどないからこの記憶が正しいのかもわからない。
話が逸れたけれどその翌年、5年生の時。学校に行って…適当にギャル系の子と遊んで…家に帰ってテレビ見てご飯食べて寝る。そんな感じ…あれ、交換ノートとかやってたっけな。どうだったかな。
とりあえずお絵描きは好きだったかな。
中2の時、、、中1か中2の時めちゃくちゃにK-POPにハマった。MVとか可愛いからね。あとお水をめちゃくちゃ飲んでた気がする。謎の健康法(笑)あとは、歌が好きだったかな、歌うのが。べつにうまくはないんだけど、声出すのが楽しくて、ずっと歌ってた。gleeにハマったのもこのくらいだったかな?
高2の時、サブカル?ライチとかなんかその辺。兎丸先生とか夏次系先生とかが好き。
他は特にないかな。受験に必死だったのかも。
割と小さい時から「喜ぶと人にバカにされる」と思ってる節があった。4歳とかそのくらいの時に、人に何かしてもらって本当に嬉しくて喜ぶと、顔が緩んで鼻が膨らむ癖があったみたいで、その度に親に(特に父に)「ほら(笑)鼻広がってるよ(笑)」とか言われた。それが嫌で嫌で喜んでることを顔に出ないようにしようと思ってた。そしたらそれはそれで今度は「可愛くない」みたいになってる感じかして「ちゃんと喜ぶ」ようにはしたけど。私にとってはそれも大変だった。
こうやって思い返してみるとなんだかんだで1番中学生の頃が精神が安定していたんだろうな。何かにハマる余裕があったってことだもんね。